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大阪地方裁判所 昭和59年(わ)81号 判決 1985年9月27日

被告人 白澤隆司

昭二七・一・一七生 職業不詳

主文

被告人を懲役六月に処する。

未決勾留日数中三〇日を右刑に算入する。

この裁判の確定した日から二年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、革命的共産主義者同盟全国委員会(以下「中核派」という。)に所属しているものであるが、日本電信電話公社近畿電気通信局技術調査部ソフトウエア技術室第三技術担当調査役であつた松鶴弘緒(昭和三年七月一五日生、以下「松鶴」という。)において、その妻久子との間の長女知子(昭和四〇年三月六日生)が、昭和五八年九月末ころから無断で家を出て所在不明となつたため、その所在を捜すうち、同女が中核派に所属して活動していることを知つたものの、同派は所謂過激派で、セクト間の対立抗争等によつて、長年にわたり殺傷事件を頻発させている暴力を肯定する政治団体であるとの認識から、下手に動けば、知子は勿論、自己の生命・身体にも危害が及ぶかもしれないとの恐れを抱きつつも、親として、同女の身の安全と将来を案ずるばかり、これを帰宅させて膝下に置きたい一念から、中核派の一拠点である「前進社関西支社」宛に、親から見れば、同女はこれから自分の生活力を身につける段階で、健全な社会人として成長していかねばならない時期であるので、知子が帰宅するよう説得して欲しい旨の手紙を出したりしてきていたので、巳むなく同年一一月一六日、大阪府枚方市楠葉花園町一番所在の日本電信電話公社楠葉社宅三棟三〇三号の当時の松鶴方を訪れ、家庭が破壊されてしまうからとして、知子を帰宅させてくれるよう頼む松鶴に対し、「警察に言うたのか、警察に言うとおじやんですよ。」「家庭が破壊されるのは社会が悪いからだ。」などと言うとともに、知子宛に手紙を出すときには、差出人・名宛人ともに実名を使うのを避けるように頼むなどしていたが、その後も松鶴から、中核派に対しては知子を帰宅させてくれるようにとの依頼の、同女に対しては帰宅するようにとの説得の手紙が来、遂には、同年一二月二五日、前進社宛に、「知子が自由な状況にいるとは思われない。自由であるというなら、同月二八日までに同女を帰宅させて欲しい。帰宅させてもらえないときには、然るべき措置を取る。」との手紙が投函されるに及んだため、警察沙汰になる気配を察し、同月二八日、「中村」との偽名を名乗つて再び松鶴方を訪れ、「然るべき措置とは何か。二八日に期限を切つたのは何故か。」などと尋ねたうえ、一応翌二九日に同人方へ知子を連れて来ることを約束し、これに従つて、翌二九日午前一一時ころ、同女を伴つて松鶴方に赴いたものの、同人から、親子で話したいので引取つて欲しい旨言われるや、俄かに態度を変え、「あなた、娘を監禁する気なんですか。」と厳しい口調で言い、同人方玄関先で、もう来ないで欲しいと望む同人に対し、後刻知子を迎えに来る旨言つて執拗に押問答したうえ、一旦は単身退去したが、以後同日午後七時ころ、同八時ころ、同九時三〇分ころ、及び同一一時ころの四回にわたつて松鶴方を訪れ、その都度、「知子を迎えに来たので帰したらどうか。」と要求し、「本人は自由意思で動いている。」「我々は革命を志す同志である。親がとやかく言うべきことではない。」などと言つては松鶴を困惑・嫌厭させたが、結局、右要求を拒絶されていた。

(罪となるべき事実)

被告人は、右の経緯のもと、知子(当時一九歳)を中核派に連れ戻すべく、昭和五八年一二月三〇日午前七時一五分ころ、またも松鶴方を訪れ、玄関先で、前記のとおり中核派に対して恐れを抱いており、更に、被告人の許へ戻りたがる知子の説得や度重なる被告人の来訪への応対、及び、知子の将来や中核派の出方に対する不安等の心労で、殆ど睡眠もとれずに憔悴していた知子の父松鶴(当時五五歳)から、「知子との話が済んでいない。話ができる状態になつていないので帰つて欲しい。」旨言われたにもかかわらず、松鶴に対し、「話をしても理解できる筈ない。自由にさせたらどうか。」などと繰返したうえ、「外は寒いですよ。何回も来てるんですから、いつぺん会わせて下さい。あんまり会わせてくれないと、私もぼつぼつ限界ですよ。」「警察に言うと、あんたの社会的地位は失墜ですよ。」などと申向け、なおも松鶴から知子との面会を拒否されると、「娘さんに会わせるまでは何回でも来ますよ。」と言い置き退去したが、その後も、同日午前一〇時三〇分ころ及び同日午後一時一五分ころの二回、知子を中核派に連れ帰るべく松鶴方を訪れ、同人に対し執拗に知子との面会を求め、また、「あんたは親の資格がない。人間としても、社会人としても失格や。」「あんたの息子は海上保安庁やな。警察と同じことや。辞めさせなさいよ。」などと言つて、被告人の親権者としての能力を誹謗したり、警察を極度に忌避するのみか、これに対する敵対意識を明確にするなどの態度を露わにし、以上の言辞及び三回にわたる強引な押し掛け訪問とその都度の知子との面会のしぶとい要求等の言動によつて、被告人ないしはその所属する中核派の、松鶴の意思に反しても知子を連れ帰る決意の強固さを表明し、知子を、松鶴及びその妻久子の親権による保護関係から離脱させて被告人や中核派の支配下に置く旨告知し、また、知子を右支配下に置くためには、次第によつては被告人が松鶴の身体に危害さえ加えかねない気配を見せ、更に、松鶴が警察沙汰にしてまでも知子を膝下に留め置きたい覚悟であることを知つて、殊更に中核派が警察を極度に忌避し、これに対する敵対意識を持つ集団であることを明確にすることによつて、同人が前日来のことどもを警察に相談等すれば、同人の社会的地位を失墜させるために、中核派として、右性格相応の報復行動に出ることを示唆し、よつて、知子の自由及び松鶴の身体・名誉に対し、被告人ないしその所属する中核派においてそれぞれ害を加うべきことを告知して、松鶴を脅迫したものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人の主張に対する判断)

第一事実認定について

一  弁護人は、外形的には判示事実の大要を認めるものの、判示罪となるべき事実摘示の如き、被告人の松鶴方への訪問やその際の言辞は、同人に対する説得活動の域に留まるもので、脅迫罪の構成要件に該当せず、しかして、被告人は脅迫の故意を有していなかつた旨主張し、被告人も、公判廷において、概ねこれに副う供述をなしているので、以下検討を加える。

二  害悪の告知について

そこで、判示(罪となるべき事実)認定のとおりの被告人の行動、要約すれば、昭和五八年一二月三〇日における松鶴方への三回の押し掛け訪問、その際に発した「私もぼつぼつ限界ですよ。」「警察に言うと、あんたの社会的地位は失墜ですよ。」などの言葉及びその余の松鶴に対する言動(以下「本件所為」という。)が、刑法二二二条に列挙されている各法益に対する害悪の告知に該当するかについて検討する。

1 前掲関係各証拠、殊に、第二回ないし第六回公判調書中の証人松鶴弘緒の各供述部分(以下「松鶴証言」という。)によれば、判示(犯行に至る経緯)(罪となるべき事実)で認定した事実のほか、次の各事実を認めることができる。

(一) 松鶴は、昭和五八年一〇月五日、短期大学在学中であつた知子が高等学校時代の同級生数名と共に家出したことを知り、八方手を尽くして同女の行方を捜していたところ、同月八日と二九日の二回にわたつて同女から手紙が届いたので、かねて収集の情報とを併せ、同女が所謂過激派の中核派に所属して、政治活動をなしているものと察するに至つた。そこで、同女に対し子を慮る親の気持を伝え、親許に帰つて来て留まるよう説得しようと考えたが、同女が、その手紙で、国家権力と敵対しているから警察に駆け込むような軽率な行動を取らぬよう求めてきたことや、市販の「中核対革マル」と題する書籍を購読することによつて、中核派について、判示の如く暴力を肯定する政治団体であるとの認識を持つていたところから、中核派へ知子宛の手紙を出せば、同女が親に連絡を取つたことが判明し、これが原因となつて、同女が同派の組織から危害を加えられるような事態に発展するのではないかなどと危惧し、暫時逡巡していたが、遂に、同年一一月一二日、判示の如き内容の手紙を「前進社関西支社」宛に投函するに至つた。

(二) しかるところ、同月一六日、右手紙を見たとして、被告人が匿名で松鶴方を訪ねて来て、判事の如き遣り取りが行なわれたのであるが、このとき同人は、被告人から「警察に言うとおじやんですよ。」との言葉を聞くに及び、対応の如何によつては知子に危害が加えられるのではないかなど、ますます中核派に対する疑心と恐怖心を募らせ、被告人の氏名を聞くことさえできなかつた。

(三) その後の同月二一日、知子から松鶴宛に、中核派に所属しているから、連絡するときには宛名を「青木紀子」として欲しいとの依頼と、重ねて警察に連絡を取らぬよう求めた第三信が来たため、同月二六日、松鶴は、宛名を右青木として、知子に、帰宅を促す手紙を出し、その際、被告人に対しても、知子が帰宅するよう説得を依頼する私信を同封した。

(四) ところで、松鶴は、知子の家出を知つた直後の昭和五八年一〇月七日ころ、枚方警察署に相談を持ちかけ、同年一二月六日には大阪府警察本部を訪ね、京楽警部及び高橋貞雄警部補に対し、それまでの経過を説明していたが、事態が表面化すれば松鶴自身あるいは知子の名誉等にかかわる問題を生ずることになると考え、できるだけ穏便に済ませたいとの意向でいた。しかしながら、事態は全く進展せず、知子が帰つてくる気配がなかつたため、同月二〇日、同府警本部に対し、氏名不詳者を被疑者とし、これが知子を誘拐したとして告訴する一方、年内に何とか知子を帰宅させたいと願うあまり、同月二五日、中核派に対し、判示の如き手紙を送付するところとなり、以後判示の如き経過を辿るに至つた。

2 被告人が中核派に所属することは、右認定及び関係各証拠を総合すると、知子自身、自分が中核派に所属している旨松鶴に伝えており、同人が、知子との折衝を中核派を通じてなさんとしたのに応じて、被告人が松鶴方を訪れ、知子のために一連の応対をなし、その際、自己が中核派に所属することを前提とした遣り取りをなしていること、及び、昭和五八年一二月三〇日に同人方を訪れた際に、中核派の発行する機関誌を所持していたこと等が明らかであるので、十分認定することができる。

3 しからば、被告人の本件所為の目的であるが、関係各証拠によれば、被告人は、判示のとおり合計七回にわたつて松鶴方を訪れ、その都度同人に拒絶されながら、知子を中核派に帰すよう、あるいは同女に面会させるよう執拗に要求し、昭和五八年一二月三〇日の三度目の訪問にあたつては、知子を松鶴方から自力で脱出させる目的で、加工を施したロープまで準備していたことなどが認められ、これに照らせば、被告人の本件所為を含む松鶴方訪問の目的が、同人の意に反して、知子を中核派に連れ帰ることにあつたことは明らかである。従つて、被告人の右目的は、被告人及び中核派の事実上の支配下に知子を置くために同女を連れ去ることによつて、その父松鶴と母久子に対し、両名が未成年者の実子知子を保護するために、同女と十分に話し合つたり、説得したりする機会すら奪つて、同女に対する正当な親権の行使を著しく困難ならしめることにあつたことは明らかである。

4 しかして、判示の「外は寒いですよ。何回も来てるんですから、いつぺん会わせて下さい。あんまり会わせてくれないと、私もぼつぼつ限界ですよ。」「警察に言うと、あんたの社会的地位は失墜ですよ。」との脅迫文言は、判示の犯行に至る経緯及び犯行当日の被告人のその余の言動によつて、その意味・効果を一層明確ならしめられるものであるから、これらの言動のなされた態様が重要となる。

この点をみるに、被告人は、松鶴に対し、同人が前叙の如くに恐れを抱いている中核派の組織と性格を背景にし、人の親の子に対する本能的な情についてさえ、全く無理解且つ非常識であることを顕著に示す冷酷な言動を断定的かつ強引にくり返して、知子を連れ去る決意を表明していたもので、これを換言すれば、松鶴はいうに及ばず、一般平均人においても、容認は勿論、理解すらできないところの、独善的な言辞と動作とを押し付けがましく執拗に振り回して、知子を連れ去る正当性を一方的・強圧的に説き、反面、松鶴の人格・思想・感情を理不尽に誹謗していたことになる。しかして、これは、同人はもとより、通常人にとつても、前記判示脅迫文言によつて、単なる底気味の悪さ以上の嫌厭の情を伴う畏怖を多分に起こさせるに足る態様であつたというべきである。

5 ところで、脅迫罪における害悪の告知とは、刑法二二二条列挙の各法益に対し、一般人を畏怖させるに足りる程度の将来の加害を、相手方に知らしめることであり、その行為時までの行為者と相手方との間の経緯や行為時の四囲の具体的事情も、右の畏怖の性質・程度を判断するうえで、重要な要素である。

これを本件についてみると、判示(犯行に至る経緯)及び右1ないし4で認定した事情の下において、本件所為がなされた場合、即ち、一流企業に勤務する中堅サラリーマンたる父松鶴が、短期大学に進学するまでに愛育してきた一八歳の娘知子において、突然家出し、所謂過激派で、セクト間の対立抗争によつて、長年にわたり殺傷事件を頻発させている、暴力を肯定する政治集団であると松鶴が考えている中核派に所属して運動に参加しているのを知れば、まず、知子に対し、中核派から離脱して家に留まるよう説得するため、帰宅させる手立てを講ずるのが当然であり、しかして、同女や自己の生命・身体に対して危険が及ぶのではないかとの不安をおしてでも、中核派に対しそのための種々の働きかけをなすものと言うべく、その結果、ようやく同女を帰宅させ得た場合には、これを自己の膝下に置いて右のような説得に強く努めるのは父親として極めて自然の情愛であつて、子の居所指定権を行使し得る親権者として、娘が如何に中核派に戻りたがつていたにしても、その監護教育の妨げとなると想われる中核派の構成員との面接をも強く拒否する権利義務を有し、わけても、ようやく帰宅が実現した当日、来訪や娘との面接についての明示の拒否を無視して、中核派に所属する被告人から、午後一一時ころまで四回にわたり押し掛けられ、その都度、知子を迎えに来たので帰したらどうかと、父親としての右心情を一顧だにせず、ただ組織の都合のために知子を強引にでも連れ去る旨の一方的要求を、明確な目的意思の下に迫り続けられた挙句、更に、翌日早朝から、本件所為の如きに出られたときには、殊に本件所為の右3、4で述べた目的と態様に鑑みれば、松鶴のみならず一般人の立場からしても、本件所為は、まず、知子を松鶴及びその妻久子の親権による保護関係から離脱させて、被告人や中核派の事実上の支配下へ連れ去るという意味で、未成年者知子の自由に対する害悪の告知であると解されるのが当然であり、ついで、本件所為中の、判示「外は寒いですよ。何回も来てるんですから、いつぺん会わせて下さい。あんまり会わせてくれないと、私もぼつぼつ限界ですよ。」との言辞は、右3、4で述べた状況を背景にしてみるとき、松鶴が、被告人に対し、知子との面会をあくまで拒否し続けるときには、被告人が知子を連れ去るために、松鶴に対し暴行に及ぶかも知れないという意味でその身体に対する害悪の告知であると解されることが明らかであり、更に、判示「警察に言うと、あんたの社会的地位は失墜ですよ。」との言葉は、右1ないし4の事情に照らしてみると、松鶴において、二九・三〇日の出来事を警察に相談などすれば、中核派は警察を最も恐れるのみか、露わな敵対意識の対象にしている集団であるから、その報復措置として松鶴の社会的地位を失墜させるために、例えば中核派が松鶴の住居やその近隣に押しかけ、同人に対する一方的な非難中傷を加えるやもしれないという意味で、同人の名誉に対する害悪の告知であると、解されるのであつて、しかも、これらの害悪が、被告人によりそれぞれ実現可能であると判断されるのが通常であるといえる。従つて、本件所為が、一般人をして畏怖させるに足りる自由・身体・名誉に対する害悪の告知に該ることは明らかである。

この点について、弁護人は、松鶴証言の部分部分を断片的に摘示し、松鶴が、中核派に対し、漠とした畏怖心を抱いていたとしても、それは脅迫罪に結びつくようなものではなく、まして本件所為によつて現実に畏怖したこともないとして、本件所為が一般人をして畏怖させるに足りる害悪の告知に該らない旨主張する如くである。しかし、害悪の被告知者が現実に畏怖することまでは、害悪の告知が脅迫罪に該当することの要件ではないが、本件においては、仮令、松鶴が警察と連絡を取つていたり、中核派に対し手紙を投函して、知子の帰宅を強く促していたりしていたとしても、これらをもつて松鶴が畏怖していなかつたとなすことはできない。何故なら、これらは、前叙認定のとおり、同人が、父親として、娘知子の帰還を願つて已むなく取つた行動や、熟慮の結果意を決して自己の心情を赤裸々に告白したものだからである。そして、同人の畏怖した状況についての松鶴証言は、具体的かつ詳細で臨場感に富み、とり分け、知子を意に反して中核派に連れ去られてしまうことに対する強い危惧と恐れや、被告人の度重なる来訪による憔悴の有様についての供述部分は、迫真的で真実味に溢れたものであるうえ、書物から得た中核派に対する前認定の如き認識により、中核派に対し恐れを抱くことも自然の心理経過であつて合理的といえるから、右証言を全体としてみれば、本件所為により畏怖の念を抱いた旨の供述部分は十分信用することができ、しかして、松鶴が現実にも本件所為によつて畏怖していたことが認定できる。このことは、却つて、本件所為が松鶴のみならず、一般人をも畏怖させるに足りる害悪の告知であることを裏付けることになるので、結局弁護人の右主張は採用し得ない。

また、弁護人は、本件所為による告知内容が具体性を欠き、客観的に、刑法二二二条列挙の法益に対する害悪として実現可能とは解し得ないので、一般人をして畏怖させるに足りない旨主張する如くであるが、本件においては、前叙のとおり、被告人及び中核派と松鶴との間の、知子をめぐる交渉の経緯並びに本件所為のなされた具体的状況からみて、一般人の立場からしても、如何なる法益に対し、如何なる害悪が加えられるべきことが告知されているかが明らかであるとともに、その告知された害悪が、被告人及びその所属する中核派によつて実現可能であると判断されるとの認定が可能であるから、弁護人の右主張も採用し得ない。

三  本件所為の違法性について

弁護人は、本件所為が、説得活動の域に留まる適法なものであると主張するが、この所為が、前叙のとおり、松鶴らの身体・自由・名誉等に対する害悪の告知と認められる以上、右主張自体失当といえる。

四  脅迫の故意について

まず、松鶴証言によれば、同人は、被告人から、昭和五八年一二月三〇日の最初の訪問を受けた際、被告人に対し、「中核は恐い。」と明言したことが認められるうえ、被告人は、公判廷において、松鶴がマスコミ等の「過激派キヤンペーン」に乗せられ、中核派に対して誤つたイメージを抱いていると思つた旨供述しており、右イメージの具体的内容については供述を濁してはいるが、右供述は、右イメージの正誤はともかく、松鶴が一般社会人と同じく、中核派に対して判示の如き認識を有しているのを承知していたことを前提とするものとみられ、従つて、被告人は、松鶴が右認識を基礎として、中核派に対して強い恐れを抱いていたことまでも了知していたと認めるのが相当である。

しかして、被告人は、前認定のとおり、松鶴が親権を行使する意思を明確に示し、親として、未成年の娘知子を被告人に会わせたくないとの強固な意思を有していることを知つたうえで、松鶴と直接に対応し、しかも、被告人の度重なる来訪により、松鶴が、段々憔悴してゆく有様を露わにしていたのを明確に認識していながら、前記二3認定のとおり、松鶴の意に反して知子を中核派に連れ帰るとの目的を明らかにしたうえ、その実現のために、違法な本件所為に及んでいるのであるから、被告人において、本件所為が前記二5認定のとおりの、刑法二二二条列挙の法益に対するそれぞれの態様による害悪の告知であることを十分認識し、これによつて松鶴を畏怖させることを認識・認容していたこと、即ち、脅迫の故意を有していたことを優に認定し得る。

第二公訴棄却に関する主張について

一  弁護人は、本件公訴提起の手続が違法であるから公訴棄却されるべきであるとし、その理由として、1現行犯逮捕の要件がなく、また警察官が現場に臨場してから三〇分以上も経過した後に現行犯として逮捕したという、違法な逮捕手続を前提とした起訴であること、2本件公訴事実に記載されている告知された害悪の実現には何らの具体性がなく、また、いかなる対象に対する害悪であるかも不明確であるから、公訴事実自体が不明確であると言わざるをえないこと、3起訴価値がないものを、悪意・不法目的で起訴したという訴追裁量権を逸脱した違法な公訴提起であること、を主張しているので、以下一応の検討を加える。

二  まず、右1の点についてみるに、逮捕の手続に違法があつたとしても、それだけで直ちに公訴提起の効力に影響を及ぼすものではないと解すべきである(最高裁判所昭和二二年(れ)第三三四号同二三年六月九日大法廷判決刑集二巻七号六五八頁、同裁判所昭和二三年(れ)第七七四号同年一二月一日大法廷判決刑集二巻一三号一六七九頁参照。)が、右の主張に鑑み若干の検討を加える。

1 前掲関係各証拠、殊に第七回公判調書中の証人高橋貞雄の供述部分及び司法警察員ら作成の現行犯人逮捕手続書によれば、次の事実が認められる。

松鶴は、昭和五八年一二月三〇日午前九時ころと同一一時ころの二回にわたつて、大阪府枚方警察署へ架電し、中核派に属する被告人に対し、明白にその来宅を拒否しているにかかわらず、同月二九日午後七時ころから同一一時ころまで四回にわたつて訪問を受けて、娘を出すよう執拗に求められ、三〇日にも早朝七時一五分ころから押しかけられ脅迫されているとの連絡を為し、その後、同日午後一時一五分ころ、またしても被告人が訪ねて来たので、直ちにその旨一一〇番通報したうえ、玄関先で被告人の相手をしていた。他方、同署に応援派遣されていた大阪府警察本部所属の警部補高橋貞雄は、上司から右事情を告げられたうえ、視察警戒を命ぜられ、これを実施中の同月三〇日午後一時一八分ころ、「松鶴方で紛争事件あり、現場急行せよ。」とのパトロールカーに対する指令を傍受したので、付近に他の中核派構成員等がいないか警戒しつつ、一〇分程かかつて同人方に到着し、直ちに同人に対する事情聴取を開始したところ、同人は、憔悴し切つた青い顔をし、小刻みに震えながら、「この男に、『娘を出せ、警察には言うな。』などと脅迫され続けていた。この男の前では怖くて言えない。」旨答えて、被告人を指差したので、次いで被告人に事情を聞いたところ、「中核派でも何でもいいじやないですか。娘に会いに来ているんだ。親は関係ない。」旨発言したため、被告人を脅迫の現行犯人と認め、既にパトロールカーで臨場していた藤井秀男巡査部長に被告人を近隣の派出所に隔離するよう命じたうえ、脅迫の具体的文言等を明確にすべく、更に松鶴に対する事情聴取を行なつた後、同人方から二五〇ないし三〇〇メートル離れた大阪府枚方警察署楠葉派出所に行き、午後二時八分、「被告人は、松鶴に対し、『娘を出せ、娘と話をさせろ、娘は中核派の人間だ。』『何回も足を運ばさせるな、もうこれが中核派としての限界だと思え。』『警察には言うな、えらいことになるぞ。』等とすごみ、素直に長女知子を引き渡さなければ同人らの生命・身体等にいかなる危害を加えるかも知れないことを暗示して脅迫した。」との被疑事実により逮捕した。なお、藤井巡査部長が被告人を右派出所に隔離同行するにあたつては、被告人をパトロールカーに四人の警察官と共に乗車させ、同派出所に到着後逮捕手続が取られるまでの間に被告人が退去しようとした際、警察官においてこれを阻止したことがあつた。以上の事実がそれぞれ認められる。

2 しかして、右認定事実によれば、被告人は、高橋警部補から被告人を最寄りの派出所へ隔離するよう命ぜられた藤井巡査部長に同行されて、大阪府枚方警察署楠葉派出所へ向かうべくパトロールカーに乗車させられた時点において、実質的に逮捕された状態にあつたものと解すべきであるが、高橋警部補は、松鶴方に臨場した際、松鶴が一見して畏怖していることの明らかな状態にあつたことをつぶさに目撃し、この犯行の痕跡に、事前に得ていた情報と、その時点における同人の申告内容及び被告人の応答とを総合して、直ちに被告人を現行犯人と認めたうえ、中核派という組織を背景とした脅迫事犯であるという事案の性質上、まず被告人を隔離したうえ、松鶴から更に詳しい事情聴取をなすことが望ましいと判断して、藤井巡査部長に前記認定の措置を取らせたものと認められるから、右事情の下においては、現行犯逮捕の手続を実際に行なつた時刻が、高橋警部補らが現場到着し、被告人を現行犯人と認めてから四〇分近く、一一〇番通報がなされてから五〇分近く経過しており、またその場所が犯行現場から二五〇ないし三〇〇メートル離れていたからといつて、本件逮捕手続が違法となるものではなく、従つて、この点の弁護人の主張は、前提を欠き理由がない。

ところで、弁護人は、高橋警部補が臨場した際に目撃したのは、松鶴の前に被告人が立つていたというだけのことであり、犯罪の明白性を基礎付けるような事実はなく、逮捕手続が遅れたのは、被告人を派出所に連行する時点では犯罪の明白性を欠いていたからにほかならない旨主張するが、松鶴証言によれば、同人が、高橋警部補から事情聴取を受けた際、同警部補に何を話したか詳らかには憶えていないが、「落ち着いて話せや。」と言われたことは記憶していること、また、松鶴宅へ入つてからも、ゆつくり話すよう諭されて概略の事情を説明したものであることがそれぞれ認められ、これらによれば、松鶴は、高橋警部補の事情聴取を受けた際、相当取り乱した状況であつたものと窺われ、しかして同警部補が臨場した際の松鶴の状態は、前認定のとおりであつたと認められ、また、高橋警部補において、被告人を派出所へ連行するよう命ずる前に松鶴から聴取した内容は、「娘を出せ、警察には言うな。」などという断片的なものであつたに過ぎないのであるが、高橋は既に前記第一、二1(四)のとおり、本件の経過をつぶさに認識していたうえに、昭和五八年一二月二九日から三〇日にかけての被告人と松鶴との間における前記第二、二1の如き経緯も知つていたのであるから、前認定のとおり、被告人の前で畏怖した状況にある松鶴の姿を目撃したうえ、松鶴と被告人の双方から事情聴取をなした以上、松鶴に対し、同人が知子と中核派に所属する被告人との面会を拒否し続けたり、被告人の本件所為を警察へ通報したりすれば、松鶴の生命・身体にいかなる危害を加えるかもしれないとの害悪の告知がなされたものと判断したのは相当であると解されるから、犯罪の明白性に欠けるところもなかつたと認め得る。よつて、弁護人の、犯罪の明白性に関する主張は理由がない。

三  次に、弁護人主張の右一の2、3の各点についてみるに、前記第一、二5認定のとおり、公訴事実に記載されている告知された害悪の内容は、一般人において、被告人及びその属する中核派によつて実現可能であると判断することができるものであり、また、本件は、一方、違法性を具えた十分起訴価値を有するものであり、他方、検察官において本件起訴を悪意・不法の意図をもつてなしたことを疑わせる事情は本件全証拠によつても認められないから、これらの点についての弁護人の主張も理由がない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は包括して刑法二二二条、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役六月に処し、刑法二一条を適用して未決勾留日数のうち三〇日を右の刑に算入し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から二年間右の刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 池田良兼 古田浩 白井幸夫)

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